薫の秘話

2005年5月17日 読書
ISBN:4309264476 単行本 松田 洋子 河出書房新社 2000/12 ¥1,575
 (私が持っているのは講談社版ですが)

チビでデブでハゲで糖尿病持ちのぶさいく中年ホモ、
橘薫の生活を綴っております。
モーニング連載時、私の周囲では大反響だったのです
けど、巷間ではさほどでもなかったらしく、単行本の
発売時書店に行っても置いてない店が何軒も。
『薫の秘話』を求めてさまよった思い出があります。

美少年と美青年をこよなく愛する薫ちゃんは
この上なく選民意識が強いのに、お気に入りの
美青年からはいつも賤民扱いされる役回り。
登場人物が皆互いを露骨に差別しあい、批評しあう。
悪意がにじんでいても後味は悪くない。
切れ味がいいけど、単純に痛快とか爽快というのでも
なく。
でも悪意のむこうに、間抜けで切ないそれぞれの
日常が垣間見えて意外とハートウォーミングかも!?
  (ホントか!?)
イニシエーション、と聞くと一番先に思い浮かべるのがオウム真理教
だったりする下世話ななつです。
去年ちょっと話題だった乾くるみの『イニシエーション・ラブ』を
ようやく最近読んだのですが・・・。
大まかな仕掛けは判っていたので、読後感は「まあ、及第点」という
お前、何様?な感想。
いや、面白かったです。
少なくともミステリィとしては面白いのではないか、と。
仕掛けが判っていても、展開が読めても、最後まで楽しく読めたし。
「普通の恋愛小説としては面白いけど。ミステリィとは言えないよ」
という声が少なからずあるようですが、逆に恋愛小説としては
あまりにも凡庸。
ミステリィとして読むからこそあの設定は生きるというもの。
設定や仕掛けを楽しむための小説という気がします。

双葉さま、BMさせて頂きました。
以前から時々拝読していましたが、これからも楽しみに
読ませて頂きます。
先日書いた若竹七海の処女長編。
「僕のミステリな日常」以降彼女の本をまとめて読んだ際、これは
本屋で見つけられず図書館にあったのを借りた。
「依頼人は死んだ」を読んでこの「心のなかの〜」を再読したくな
りまた何軒か書店をめぐったが、やはりない。
調べて見ると絶版ではないものの完売状態のまま、新版が出る気配
もない。

元がベストセラーになってるわけでもないので、所持してる人は
大部分がファンらしく、古本屋にも入らないらしい。
BookoffやAmazonでもずっと受注不可の商品とのこと。

やはり図書館しかないかしら?
自分の本棚に入れておきたい一冊なんだけどな。
小学校の図書館のお気に入りは何と言ってもポプラ社の推理小説全集にあった『ブラウン神父の童心』。後にブラウン神父を始めとするチェスタトンの著作の大部分をじっくり読むようになって、深く峻厳な倫理観社会観に蒙を啓かれる思いがしたものだった。
推理小説全集は何気に人気があったが、当時まったく人気がなく片隅で埃をかぶってくすぶっていたのが「なんちゃら少女小説全集」。けど私ひそかに愛好していたのです、少女小説を。それもコバルト文庫などよりはるかに黴臭いと思われて敬遠、というよりは無視、というよりその存在さえ知られていなかったに等しい、いにしえの少女小説。もちろん、筆頭は大御所、吉屋信子先生で在らせられます。
「少女」という存在の優越性、なんてさんざ語られ尽くしているけれど、少女小説におけるそれは「ロリータ」の如き不能中年の介入をきっぱりと拒むその秘密結社の如く閉じた世界にあると思う。
少女以外立ち入ることのできない結晶世界。凡庸な清純とは明らかに違う絶対の清純。それが意味するもの、、。誰だって少女小説の中には隠微な匂いが立ち込めていることを知っていて、だからそんなもの読んだこともない、なんてふりをするのかも知れない。
後年、思いがけないところで吉屋信子の名前を発見した。久生十蘭全集の中で。
十蘭が“作家のお宅訪問”のような企画で吉屋信子邸を訪れているのだが、そこで彼は彼女を“アマゾネス”だか“サッフォー”だかにたとえ、『最愛の恋人にして可憐な美貌のプリマドンナ○○女史と同棲中』とかなりあけすけに書いていた。
ああ、、、なるほどね、、、てか、やっぱり、、、?と思った次第でした。
露骨な人情話には鼻白む性質だけど、ライスのミステリィに出てくるような“大人の人々”が示すささやかな気遣いに触れると心が軽くなる。
シカゴ社交界を主な舞台にマローン&ジェイク&へレンの酔っ払いトリオが織り成す騒動は、どれも軽妙洒脱な会話と笑いに彩られつつも、誰もが抱く生きることや人であることの根源的な悲哀をかすかににじませている。
ライス未読の人にはいつも「大はずれ殺人事件」「大あたり殺人事件」をペアで薦める。私自身ここからライスを知りハマった、とっつきやすく且つライスの特質もよく出ている作品だと思う。
「大はずれ」の冒頭、ジェイクとヘレンの結婚披露パーティの席上でシカゴ社交界の花形モーナ・マクレーンによる殺人予告、それをめぐり見事モーナの動機を当てて犯人である証拠を示せば、シカゴ一のナイトクラブ「カジノ」を譲るというジェイクとの賭けから始まり、意外なエンディングまで一気に読ませてくれる。“断じて警官になどなりたくなかった”ダニエル・フォン・フラナガン警部や、ギャングの大物親分マクス・フック、“カッコイイちびのギャングスター”ジョージィ・ラ・チェラ等お馴染みの面々もツボを心得た登場と活躍振りで初めてライスを読むには最適だろう。
「大あたり」はいわば続編。それぞれ独立した作品ではあるけど、両方読んだ方が断然面白い(個人的には「大あたり」は「大はずれ」に比べるとやや地味な印象)。いつにも増して酔っパで駄目々々な三人の周りに次々と同姓同名の男が登場して殺される、と書くとすごーくトリッキーなんだけどこの設定はちょっと効きが弱い。けれど相変わらず脇役陣が魅力的で強烈な印象を残してくれるのでダレる事なく楽しめる。
モーナは本当に殺人を犯したのか、ジェイクはその動機を探り当て「カジノ」を手中に収める事が出来るのか、二作を貫く謎が軽やかに収束する。
ライスの面白さは謎解きに加えて前述した会話や舞台設定の粋、登場人物が脇役にいたるまでキャラが立っていて魅力的であること、に負うところが大きいが、作者の人間を観る目は非常に辛らつである。大部分の愛すべきキャラに混じってたまに登場する不愉快な人間について愚かな人間は愚かに、卑怯者は卑怯者として冷徹に描かれているが、その愚かさや卑しさを擁護することもないが決してそれを非難しはしない。彼には彼の、彼女には彼女の事情があり誰もそれを肩代わりなど出来ないとよく知っている。たとえ愚かで卑劣ではなくとも、人生は時に誰にも辛くほろ苦いものであり、他人を非難すべきではないと。だから、ライスの世界の人々はそんな悲しみや苦しみに触れて一瞬涙しても、またそれぞれが喜びを求め人生を歩んでいく。どうしようもなく辛い時は、天使のジョーのシティホールバーで飲んだくれて眠ればいい。

ライスはユーモアミステリィの第一人者とされるが結婚と離婚を繰り返し、家族を養うために前借り三昧でいわゆる女性としての幸せ、とされるようなものには縁が薄かったらしく、この一見“ユーモア”に満ちているように見えながら実は“ハードボイルド”な作風は実生活の反映とみる向きもあるようだが、私はたとえ落ち着いた結婚をして実生活が幸せでもやはり同じような作品を書いたのではないかと思う。人であることの不安や、生きにくさという根底にある苦悩を深く知っていた人だと思うのだ。それは「大はずれ」の殺人談義にでてくるこんな会話からも感じられる。「愛することと殺すことの間にたいした違いはない。愛する者は言う、“私はあなたがいなくては生きていけない”。それに対して殺人者は言う、“私はあなたがいては生きていけない”。」
って、ずっとSFだとばっか思っていましたぜ。けど全然違うんだってね。なんか「純愛の物語」なんだそうで。しょぼ〜ん。
いや、別にしょぼ〜んてするこたぁないんだけど、やっぱフツーこれ「世界の中心で愛をさけんだけもの」にどっか引っ掛けてんだろう、とか思うじゃないですか?
もっとも本家エリスンにも「愛の物語」はあるけどさ。
「少年と犬」にゃあしびれましたぜ。「愛ってなにか、アンタ知ってる?」「ああ、知ってるとも。少年は犬ころを愛するものさ」って、もおうカッコよすぎ!
でも私のお薦めでエリスン、というか「少年と犬」を読んだ人は大抵「騙された」といい、私を鬼畜呼ばわりするのです。心外です。。
はいはい、いいですよ、いいですよ、鬼畜でも外道でも。世界の辺境で愛をさけんでも、私は地軸。いつもちょっと傾いてんのさ。。

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索